調査について(その①調査の形式)

20180618日(月)
皆さま

こんにちは。LALAのナターリアです。

梅雨の時期が始まったのですが、どんどん蒸し暑くなりそうですね。かなり過ごしにくいと思いますが、私のように杉の花粉症がある人にとって割と楽なではないかと思います 

さて、今回は調査について考えていきたいと思います。
研究を行う方には調査の形式、手順、対象者、分析方法などを決定する必要があると思います。かなり手間がかかる作業ですよね。この作業をよりしやすくするために、以下に自分の研究経験から得たことを書きます。
文献の分析研究もあれば、量的研究と質的研究もあります。私自身は質的研究を行なっていますので、今回はこれについて書きます。

まず、研究の目的を達成すること、そしてリサーチクエスチョンに答えることに当てはまる調査の形式を決定しないといけません。例えば、調査形式にはアンケート調査があります。アンケートを作成する時、質問項目を定めますが、選択肢がある項目と自由に答える項目がありますので、回答にどれぐらいの時間がかかるかを対象者にあらかじめに知らせたほうがよいと思います。
他の調査形式としては、面接法(インタビュー調査)があります。
面接法は3つの方法があります。以下に簡単に説明します。

1) 構造化面接は、質問項目(「インタビューガイド」)を決めて、これに従って面接をおこなう方法です。1つの仮説を立て、それを証明するために具体的な資料やデータを提示する仮説検証型の研究スタイルに最適です。

2) 半構造化面接とは、構造化面接と同じように、「インタビューガイド」を作成し面接を行いますが、そこは、まず導入として一般的な質問(年齢、学歴、出身地など)から始め、対象者の回答を聞く中でその系列の質問群で回答されたもの・されなかったものを確認し、回答されなかったものは改めて補足的に質問するという方法です。この面接法の大きなメリットは調査の対象者に自由に話してもらえることです。

3)非構造化面接は会話形式であり、「インタビューガイド」などにとらわれる必要はないものです。コミュニケーションに集中し、こうした面接の目標に答える情報をたくさん得ることができます。この面接法は仮説探求型(つまり、立てた仮説の論証そのものにこだわることなく、資料やデータを通じて仮説そのものが少しずつ変容していくもの)に当てはまるものです。

続きは後です!

#ナターリア

修論体験談③-2ー文献で「歴史」を辿る

20180614日(木)
「なぜその動機が自分にとって動機となりえたのか(必要だったのか)」
「自分にそういうことを動機とさせる(必要とさせる)社会とはどのようなものなのか」
「社会では、そのことが、どうして、どのように必要なのか」

を探っていくことが必要、と前回お書きしました。

私個人の場合、上記の疑問点に辿り着いて初めて、当該テーマの歴史を押さえる重要性、あるいは、関連する歴史をテーマと絡めて考察する重要性に行き当たりました。
遅きに失した感はありますが、大事な発見だったので、今回取り上げたいと思います。

研究の過程として歴史を押さえることが必須ということは、卒業論文で学んでいました。
しかし、今から振り返ると、当時はただ必要だと教わっているからやっているに過ぎなかったと思います。

卒業論文の時と異なり、修士論文のテーマに選んだ事柄は、私の個人的な問題にとても近いものでした。
そのため、あらかじめ支持したい考え方や立場があり、その立場に沿って文献に目を通しているところがありました。

ある時点の著者の見解が活字になることで固定化され、保存されているものが「文献」であると私は考えています。
どんなものであれ、書かれたものは過去のもので、「歴史」の一部です。

しかし、読み手にとって、その本を読む契機となった体験や動機が、当人の心中であまりに生々しすぎると、読み手にとってはまさに今現在のリアルな問題であるために、「歴史」の一つとして検証する視点を失ってしまいます。
読み手にとっての答えを証明する部分だけを抜き出して読んでしまうことになりかねません。個人で読む分にはそれで問題ありませんが、研究という社会的な行為にはそぐわないものです。

一人の頭の中だけで組み立てられた認識は、いくら申し分ないように思えても、偏っている部分があると思います。なぜなら、その人があることを体験したり、体験を通して考えたりするようになった背景は、例外なく歴史の延長線上にあるからです。自分の考えを証明するためのものとしてではなく、考えの発生源を見直し、認識自体を更新するために、歴史を知ることは不可欠です。
したがって、過去に積み重ねられてきた先行研究も、「今」援用できるツールになりうるか、を見るに止まらず、どのようなものでも歴史的事実の一つとして捉える必要があります。歴史を扱った本だけではなく、新しい主張を提示しているようなものでもです。
当該テーマに関わる「歴史」を掴み、再考察することによって、

「なぜその動機が自分にとって動機となりえたのか(必要だったのか)」
「自分にそういうことを動機とさせる(必要とさせる)社会とはどのようなものなのか」
「社会では、そのことが、どうして、どのように必要なのか」


これらの疑問の答えを自分なりに定め、自分の中にあった問題を社会的なものとして再定義するために読むという姿勢が、「研究的に」テーマと向き合うための基本となります。

長々と当たり前のことを書きました。
私は気づくのがかなり遅かったのですが、気づいたことで、遅読なりにも文献に当たらなければ、と先行研究を追う目的意識がしっかりしたので、幸いでした。

追記)2018年7月2日
目的意識を持って先行研究を追うことができるようになると、今の領域で研究する意義も見えてきたりしました。
修論体験談①の記事の、「今の専攻領域の方法で研究する必要性を捉えたこと」に当てはまる部分ですね。
続けてこの問題について記事を書く予定でいましたが、別の機会に改めて掘り下げたほうがよいように思えたので、今回はとばします。
次回で一旦完結させます。


#みあ

6/25(月)開催SCOPUS利用講習会、Mendeley利用説明会

20180607日(木)
とうとう梅雨の季節になってしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか?

学部4年生や、修士2年目の方はそろそろ自分のテーマが決定し、テーマにそった研究論文を集めて、先行研究の整理をしていることと思います。
インターネットで論文をみつけて書誌情報を確認したり、論文のPDFファイルをダウンロードして読んでみたりすることがあると思いますが、皆さんはどのように文献整理をしていますか?

図書館のサイトに「学習・研究サポート>文献管理ツール」のコーナーがあるのをご存じでしょうか。
6/25に開催されるMendeleyについては、ここからも概要を知ることができますが、やはりPCを使って実習しながら説明をきくと、なるほどそうだったのか、そういう利用方法もあったのかということもありそうです。

このMendeleyのような文献管理ツールを利用すると、一度ダウンロードしたPDFファイルを一元的に管理することができるので、
「あの以前ダウンロードした、読まなければならない重要な論文のファイルはどこにいったかな?どこに保存したんだっけ?探すのも面倒だからもう一度検索してダウンロードしようかな...」
ということがなくなり、時間のロスもイライラもなくなって、とても便利です。

SCOPUSは学術文献データベースで、海外で出版された論文を入手するときに利用すると便利です。ここには幅広い分野の学術雑誌(18,000誌)に掲載された論文情報が収録されています。また論文の抄録や本文へのリンクがあるものが多数含まれています。1996年以降に出版された論文には、参考文献の引用リンクがあるので、関係している論文を探すのにも利用できます。

関心がある方は、ぜひ「SCOPUS利用講習会、Mendeley利用説明会」にご参加ください!

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~概要&募集要項~
日にち: 2018年6月25日(月)

時間: SCOPUS利用講習会16:40 ~ 17:40
Mendeley利用説明会17:40 ~ 18:10

会場: ITルーム1(理学部3号館6階601室)
※身分証/学生証をお持ちください。

対象: 本学教職員、大学院生、学部生

定員: 先着70名(事前申込制)すでに40名以上の申し込みがあります。

申込方法: 6月20日(水)17時までに、下記問い合わせ先までメールでお申し込みください。
※件名を「SCOPUS講習会」とし、本文に氏名、ご所属(学年)を記載してください 。
※Mendeley説明会のみ参加する方は 件名を「Mendeley説明会」としてください。

○問い合わせ先 図書・情報課 学習研究支援担当 lib-support@cc.ocha.ac.jp

修論体験談③-1ーなぜ「必要」なのかを考える

20180531日(木)
「専門領域と研究目的や動機、手法とのつながりの再確認」について今回は取り上げます。
個人的なレベルまで戻って動機を詰め直し、今度は実際に外に出せる形に落とし込む作業です。
この項目に関しては、体験を言葉にすることに難しさを感じています。
ですので、ゆっくり進めていく予定です。


・なぜ「必要」なのかを考える
「好き」や「興味関心」から始まった専門分野との関わりは、「好き」や「興味関心」から距離を置くことができた/置かざるを得なくなった段階で、見直しを迫られます。
あることがらに一定の関心を寄せ、関わり続けるためには、自分にとってそれが信頼でき、また必要であることが求められます。
最初は、信頼と必要性の根拠が「好き」「興味がある」でもよかったのです。

卒業研究では、自分でテーマや目標を設定し、専門領域の手法を用いて、少なくとも一定の結論を得るところまで追究することが求められます。
自分の選んだ領域や研究手法を「ツール」として用いて、自分が抱いている疑問(それは、ジャンル自体に関心を持った動機とも重なりがちだと思います)に挑む作業と言い換えることも可能でしょう。

「好き」という感情は感覚的なものです。「好き」でいる間はとても楽しいのですが、「好き」という感情が湧くきっかけとなっていく、奥底にある何がしかの背景まで遡ると、決して楽しんでばかりはいられません。

前記事までの作業は、「奥底にある何がしかの背景」を「個人の動機」としてつまみ直したところまでにあたるでしょう。

そこから、それでは「なぜその動機が自分にとって動機となりえたのか(必要だったのか)」「自分にそういうことを動機とさせる(必要とさせる)社会とはどのようなものなのか」「社会では、そのことが、どうして、どのように必要なのか」を探っていく必要があります。

ここからは、意識的に文献の力を借りましょう。

続きます。


#みあ

修論体験談②ー個人の動機を突き詰める

20180524日(木)
「研究テーマに至る個人の動機を突き詰めること」について今回は書いていきます。
これは、研究の要素を持つ作業に取り組む際には欠かせないと考えています。

・出発点は忘れがち
高校生活後半(もしくはその前から)、進路を選択する頃には、その分野に興味を持ったもともとのきっかけとなった出来事から、時間的にかなり遠ざかっていることが多いと思います。
高校生になってから興味が湧いたという分野だったとしても、興味が湧くきっかけとなった、自身の感性や価値観は、小さい頃からゆっくり育まれたものと言えます。
しかし、大学で学ぶ過程で専門性を深めるにつれ、ますます出発点がどこだかわからなくなりがちです。
そもそもプライベートな領域にあった興味・関心・意欲などが、「進路」として選択されることで、ある種の公的な領域に移ってきているからです。社会や業界や周囲との関わりを無視することはすでに不可能です。


・学んでいくうちに、個人の動機が学問領域の方向性や目的に吸収されることが出てくる
よって起こりがちなのが、見出しに示した問題です。
その世界で目指すべきとされている価値観、出すべきとされている成果、従うべきとされている手順や方向性といったものが必ずあります。
専門性を深めるにあたっては、その分野特有の性質を学ぶことが不可欠です。
しかし、はじめから全部を知っていて、学び始めたわけではないため、すべてすんなり理解できるわけでも、納得できるわけでもないでしょう。
その時に、自分の中の違和感をなかったことにして、「こうなっているのだから、自分もこう思えるようにならないと」と考えてしまうのは、精神衛生上よくありません。
一度そうなったら、どこかで突き詰めないと、おそらく学ぶ過程で綻びが生じます。
自身が選択した専門領域の信頼性は、学びの土台です。その土台のバランスが崩れたままだと、中途半端になり、自分の意見をしっかり持つことが難しいと思います。

・もやもやしたら
換気をするように、新しい情報に触れることと、自分の持っているものを出し切ることができるといいと思います。
一番効率的なのは、誰か他人にアプローチすることだと思います。他人は新しいものを持っているし、関係性によっては、出したものを受け止めてくれる存在だからです。
一人の時に、文章でも、絵でも、音楽でも、スポーツでも、出せるものを通して、自分が何を考えているかを知ることにチャレンジしてみる、という方法もあるでしょう。とにかく表に出してみることが必要です。
お話しするという形でも、作品などに託した自己表現でも、出したものについて第三者からフィードバックをもらうことで、新しい発見や検討材料が得られます。

おまけ)お礼をする
ある程度整理がついたら、相手にきちんとお礼できるといいですね。
親しい間柄でしたらプレゼントだけでなく、楽しい時間を一緒に過ごすこと自体がお礼にもなるでしょう。

研究に直接関わる方々や、所属している専門領域への「お礼」は、何より研究を前進させていけることかもしれません。
ということで、専門領域と研究目的や動機、手法とのつながりを再確認について、次回はお書きできたらと思っています。

#みあ