修論体験談③-1ーなぜ「必要」なのかを考える

20180531日(木)
「専門領域と研究目的や動機、手法とのつながりの再確認」について今回は取り上げます。
個人的なレベルまで戻って動機を詰め直し、今度は実際に外に出せる形に落とし込む作業です。
この項目に関しては、体験を言葉にすることに難しさを感じています。
ですので、ゆっくり進めていく予定です。


・なぜ「必要」なのかを考える
「好き」や「興味関心」から始まった専門分野との関わりは、「好き」や「興味関心」から距離を置くことができた/置かざるを得なくなった段階で、見直しを迫られます。
あることがらに一定の関心を寄せ、関わり続けるためには、自分にとってそれが信頼でき、また必要であることが求められます。
最初は、信頼と必要性の根拠が「好き」「興味がある」でもよかったのです。

卒業研究では、自分でテーマや目標を設定し、専門領域の手法を用いて、少なくとも一定の結論を得るところまで追究することが求められます。
自分の選んだ領域や研究手法を「ツール」として用いて、自分が抱いている疑問(それは、ジャンル自体に関心を持った動機とも重なりがちだと思います)に挑む作業と言い換えることも可能でしょう。

「好き」という感情は感覚的なものです。「好き」でいる間はとても楽しいのですが、「好き」という感情が湧くきっかけとなっていく、奥底にある何がしかの背景まで遡ると、決して楽しんでばかりはいられません。

前記事までの作業は、「奥底にある何がしかの背景」を「個人の動機」としてつまみ直したところまでにあたるでしょう。

そこから、それでは「なぜその動機が自分にとって動機となりえたのか(必要だったのか)」「自分にそういうことを動機とさせる(必要とさせる)社会とはどのようなものなのか」「社会では、そのことが、どうして、どのように必要なのか」を探っていく必要があります。

ここからは、意識的に文献の力を借りましょう。

続きます。


#みあ

修論体験談②ー個人の動機を突き詰める

20180524日(木)
「研究テーマに至る個人の動機を突き詰めること」について今回は書いていきます。
これは、研究の要素を持つ作業に取り組む際には欠かせないと考えています。

・出発点は忘れがち
高校生活後半(もしくはその前から)、進路を選択する頃には、その分野に興味を持ったもともとのきっかけとなった出来事から、時間的にかなり遠ざかっていることが多いと思います。
高校生になってから興味が湧いたという分野だったとしても、興味が湧くきっかけとなった、自身の感性や価値観は、小さい頃からゆっくり育まれたものと言えます。
しかし、大学で学ぶ過程で専門性を深めるにつれ、ますます出発点がどこだかわからなくなりがちです。
そもそもプライベートな領域にあった興味・関心・意欲などが、「進路」として選択されることで、ある種の公的な領域に移ってきているからです。社会や業界や周囲との関わりを無視することはすでに不可能です。


・学んでいくうちに、個人の動機が学問領域の方向性や目的に吸収されることが出てくる
よって起こりがちなのが、見出しに示した問題です。
その世界で目指すべきとされている価値観、出すべきとされている成果、従うべきとされている手順や方向性といったものが必ずあります。
専門性を深めるにあたっては、その分野特有の性質を学ぶことが不可欠です。
しかし、はじめから全部を知っていて、学び始めたわけではないため、すべてすんなり理解できるわけでも、納得できるわけでもないでしょう。
その時に、自分の中の違和感をなかったことにして、「こうなっているのだから、自分もこう思えるようにならないと」と考えてしまうのは、精神衛生上よくありません。
一度そうなったら、どこかで突き詰めないと、おそらく学ぶ過程で綻びが生じます。
自身が選択した専門領域の信頼性は、学びの土台です。その土台のバランスが崩れたままだと、中途半端になり、自分の意見をしっかり持つことが難しいと思います。

・もやもやしたら
換気をするように、新しい情報に触れることと、自分の持っているものを出し切ることができるといいと思います。
一番効率的なのは、誰か他人にアプローチすることだと思います。他人は新しいものを持っているし、関係性によっては、出したものを受け止めてくれる存在だからです。
一人の時に、文章でも、絵でも、音楽でも、スポーツでも、出せるものを通して、自分が何を考えているかを知ることにチャレンジしてみる、という方法もあるでしょう。とにかく表に出してみることが必要です。
お話しするという形でも、作品などに託した自己表現でも、出したものについて第三者からフィードバックをもらうことで、新しい発見や検討材料が得られます。

おまけ)お礼をする
ある程度整理がついたら、相手にきちんとお礼できるといいですね。
親しい間柄でしたらプレゼントだけでなく、楽しい時間を一緒に過ごすこと自体がお礼にもなるでしょう。

研究に直接関わる方々や、所属している専門領域への「お礼」は、何より研究を前進させていけることかもしれません。
ということで、専門領域と研究目的や動機、手法とのつながりを再確認について、次回はお書きできたらと思っています。

#みあ

LALAデスクの場所

20180510日(木)
ゴールデンウィークも終わり、そろそろ本格的に新学期が始動しました!
いかがお過ごしでしょうか?LALAの後藤です。

図書館のホームページや、このブログでマーヤさんが紹介しているように、LALAデスクの場所も以前の場所から変わりました。
図書館の1階グローバルラーニングコモンズの隅っこの、とても日当たりがよいところに移動しました。
下記の地図を参考にしてください。

LALAデスクでは、

論文・レポートの書き方
パワーポイントを利用した効果的なプレゼンテーション資料の作成方法
進学・留学のための研究計画書や助成金や倫理審査申請書などの作成のコツ
課題・研究の進め方
インターネットなどを利用した国内外の論文探索と入手の方法


などの相談を受け付けています。
授業期間中の平日11時から17時まで。
1回の相談時間は30分です(次の相談者がいない場合、最長60分まで)。
研究生活でのお悩み事を、一緒に考えます!
是非お立ち寄りください(*^_^*)。

LALAデスクの場所


#後藤

修論体験談①ー不可欠だったなあと思うこと&環境面

20180510日(木)
こんにちは。LALAのみあです。
GW明けから雨模様で、急に寒くなりましたね。体調など崩されてはいませんか?
早速忙しい日々を送られていることと思いますが、調子悪いな〜という方は、休養をしっかりお取りになってくださいね。

さて、これから数回にわたって、4月18日・22日の「LALAセミナー」でお話しした内容をまとめていきたいと思います。あくまで現時点の考えということで、変わる可能性もあります。疑いを挟みつつ、参考程度にご覧ください。
また、以下、文体の都合上偉そうに断言したりしていますが、筆者自身は相当不肖であることを承知の上でご笑納くださいましたら幸いです。

☆☆☆☆☆
やっている間はかなり手探り状態でしたが、振り返ってみて、「今の結果(無事提出&修了&進学)に至るには不可欠だった」と思うポイントは大きく分けて3つあります。

① 修論のテーマを定めるに至った個人的な動機を突き詰めたこと
② ①の作業の上で、今の専攻領域の方法で研究する必要性を捉えたこと
③ ①②の作業が私自身の日常生活と関わるものであったこと
(日常生活の中で実践でき、研究と生活が切り離されていなかったこと)


そして、上記3点すべてを可能にしたのが、

「自分と考え方や感じ方の違う人と出会い、交流を持った」
「交流の中で出会った未知の人や考え方や概念、感じた他者との相違点によって、新しい発見ができた」

という経験の数々です。
(LALAでの活動も結構なウェイトを占めています)

ということで、上記3点のお話の前に、環境面で必要だと思うことを一つ挙げたいと思います。

☆☆☆☆☆
それは、当たり前ですが、「人と交流する時間と一人の時間とのバランスを取ること」です。
(おおざっぱですみません)
人と一緒にいるだけ、一人で勉強するだけ、にならないような環境を意識的に作ると良いと思います。
もちろん、人と一緒にいても閉じこもっていては一人と変わりませんし、一人でいても娯楽などで我を忘れすぎると進歩がなくなるので、外面的な状況ではなく、内実としてバランスが取れているかに気をつけたいところです。

特に、「文献調査」など、基本的に生身の人と関わらないでできる調査方法を用いる分野であればあるほど、上記のバランスに意識的であることは大切だと思います。

「文献調査」であれば、文献が読めればいいのでは?
そのためには、専門性を高める勉強が大事なのでは? 
それなのにどうして「出会い?」と思われるかもしれません。

しかし、人の手によって成った「文献」をどう読み、どう解釈するか、という所で大事になってくるのが、その文献がどのように読まれうる可能性があるのかを、できるだけ幅広く想定できることではないかと思います。

そのためには、自分の第一印象や共感できる部分だけにとらわれない必要があり、
そのためには、実際に自分自身が、自分以外のものの感じ方に直接触れてみる経験が必要です。

また、幅広い可能性が想定できたとして、そこで頭の中がごちゃごちゃになったままでは、文章にまとめることが難しくなります。
そこで、自分はどういう視点や考え方を取ることを選ぶかを、そのリスクも考慮した上で決める必要も出てきます。
それは人との交流とは正反対の、孤独な作業です。

つまり、人と十分関わることと、一人の時間を持って、一人で考えて決めることのバランスが取れていなければ、修論で出す内容のバランスも、やはり良くないのではないかと思います。

続きます。

#みあ