修論体験談①ー不可欠だったなあと思うこと&環境面

20180510日(木)
こんにちは。LALAのみあです。
GW明けから雨模様で、急に寒くなりましたね。体調など崩されてはいませんか?
早速忙しい日々を送られていることと思いますが、調子悪いな〜という方は、休養をしっかりお取りになってくださいね。

さて、これから数回にわたって、4月18日・22日の「LALAセミナー」でお話しした内容をまとめていきたいと思います。あくまで現時点の考えということで、変わる可能性もあります。疑いを挟みつつ、参考程度にご覧ください。
また、以下、文体の都合上偉そうに断言したりしていますが、筆者自身は相当不肖であることを承知の上でご笑納くださいましたら幸いです。

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やっている間はかなり手探り状態でしたが、振り返ってみて、「今の結果(無事提出&修了&進学)に至るには不可欠だった」と思うポイントは大きく分けて3つあります。

① 修論のテーマを定めるに至った個人的な動機を突き詰めたこと
② ①の作業の上で、今の専攻領域の方法で研究する必要性を捉えたこと
③ ①②の作業が私自身の日常生活と関わるものであったこと
(日常生活の中で実践でき、研究と生活が切り離されていなかったこと)


そして、上記3点すべてを可能にしたのが、

「自分と考え方や感じ方の違う人と出会い、交流を持った」
「交流の中で出会った未知の人や考え方や概念、感じた他者との相違点によって、新しい発見ができた」

という経験の数々です。
(LALAでの活動も結構なウェイトを占めています)

ということで、上記3点のお話の前に、環境面で必要だと思うことを一つ挙げたいと思います。

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それは、当たり前ですが、「人と交流する時間と一人の時間とのバランスを取ること」です。
(おおざっぱですみません)
人と一緒にいるだけ、一人で勉強するだけ、にならないような環境を意識的に作ると良いと思います。
もちろん、人と一緒にいても閉じこもっていては一人と変わりませんし、一人でいても娯楽などで我を忘れすぎると進歩がなくなるので、外面的な状況ではなく、内実としてバランスが取れているかに気をつけたいところです。

特に、「文献調査」など、基本的に生身の人と関わらないでできる調査方法を用いる分野であればあるほど、上記のバランスに意識的であることは大切だと思います。

「文献調査」であれば、文献が読めればいいのでは?
そのためには、専門性を高める勉強が大事なのでは? 
それなのにどうして「出会い?」と思われるかもしれません。

しかし、人の手によって成った「文献」をどう読み、どう解釈するか、という所で大事になってくるのが、その文献がどのように読まれうる可能性があるのかを、できるだけ幅広く想定できることではないかと思います。

そのためには、自分の第一印象や共感できる部分だけにとらわれない必要があり、
そのためには、実際に自分自身が、自分以外のものの感じ方に直接触れてみる経験が必要です。

また、幅広い可能性が想定できたとして、そこで頭の中がごちゃごちゃになったままでは、文章にまとめることが難しくなります。
そこで、自分はどういう視点や考え方を取ることを選ぶかを、そのリスクも考慮した上で決める必要も出てきます。
それは人との交流とは正反対の、孤独な作業です。

つまり、人と十分関わることと、一人の時間を持って、一人で考えて決めることのバランスが取れていなければ、修論で出す内容のバランスも、やはり良くないのではないかと思います。

続きます。

#みあ