修論体験談③-1ーなぜ「必要」なのかを考える

20180531日(木)
「専門領域と研究目的や動機、手法とのつながりの再確認」について今回は取り上げます。
個人的なレベルまで戻って動機を詰め直し、今度は実際に外に出せる形に落とし込む作業です。
この項目に関しては、体験を言葉にすることに難しさを感じています。
ですので、ゆっくり進めていく予定です。


・なぜ「必要」なのかを考える
「好き」や「興味関心」から始まった専門分野との関わりは、「好き」や「興味関心」から距離を置くことができた/置かざるを得なくなった段階で、見直しを迫られます。
あることがらに一定の関心を寄せ、関わり続けるためには、自分にとってそれが信頼でき、また必要であることが求められます。
最初は、信頼と必要性の根拠が「好き」「興味がある」でもよかったのです。

卒業研究では、自分でテーマや目標を設定し、専門領域の手法を用いて、少なくとも一定の結論を得るところまで追究することが求められます。
自分の選んだ領域や研究手法を「ツール」として用いて、自分が抱いている疑問(それは、ジャンル自体に関心を持った動機とも重なりがちだと思います)に挑む作業と言い換えることも可能でしょう。

「好き」という感情は感覚的なものです。「好き」でいる間はとても楽しいのですが、「好き」という感情が湧くきっかけとなっていく、奥底にある何がしかの背景まで遡ると、決して楽しんでばかりはいられません。

前記事までの作業は、「奥底にある何がしかの背景」を「個人の動機」としてつまみ直したところまでにあたるでしょう。

そこから、それでは「なぜその動機が自分にとって動機となりえたのか(必要だったのか)」「自分にそういうことを動機とさせる(必要とさせる)社会とはどのようなものなのか」「社会では、そのことが、どうして、どのように必要なのか」を探っていく必要があります。

ここからは、意識的に文献の力を借りましょう。

続きます。


#みあ