【体験談付】学部1・2年生さん、LALAに来てみませんか?
2018年11月26日(月)
こんにちは。みあです。
このところ、音楽の情報が盛りだくさんで、ブログが華やかになってきましたね☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆
今回は、いろいろな物事を柔軟に吸収し始める歩み出しの時期に、指導や指南書のクッションとしてLALAをお使いいただけますよ、というお話です。
私事ですが、習い事で「無鉄砲で無謀だが飛び出していくことはできてハッタリが利く」性格が出ていると度々指摘されます。
それがLALAを始めてから今に至るまで、ずっと感じ続けてきたことに重なるなあと思い、書き出してみる次第です。
「無鉄砲で無謀だが飛び出していくことはできてハッタリが利く」性格がレポートを書くとどうなるか?
マニュアルも見ずにいきなり書いて失敗しながら覚える。つまり、歩いてあちこち障害物にぶつかりながら、歩き方を覚えるやり方ですね。
出しました、手書き指定でもないのに手書きのレポートとか、表紙のないレポートとか、ホチキスの向きを間違えたレポート…。
学部の1・2年生の間は、Web上の「レポートの書き方」情報を見ながら書いていた感じで、あまり意識的ではありませんでした。
その後、3年に上がってから、授業内でレジュメやレポートの形式面について手厚く教えていただく機会に恵まれ、少しずつ「形」を意識しながら、課題が出るままに場数をこなしてきた…という流れです。
大学生として珍しくない歩みなのではないかな? と個人的には思っています。
LALA文庫に置かれている紙媒体のマニュアル本がありますね。
当時はLALA文庫も知らず、いろんなところでおすすめされている本を一瞬手に取っても、難しすぎるように感じてしまい、「ええいやっちゃえ!」と落ち着きなく取り掛かってしまっていました。
振り返ると、学部生って忙しいと思います。
生活を自律させること、大学のシステムに慣れることに加え、大学の勉強の仕方、本の探し方、情報の取捨選択の仕方、そして情報のまとめ方まで!同時並行で身に着けて単位も取らねばなりません。
毎日必死にやっていると意識しにくいですが、これって結構大変なことですよ。
LALAの活動に参加させていただくことになってから、初めて本格的に紙媒体の「マニュアル」本を読むようになりました。
ぶつかって覚えてきたことの答え合せをしていくようでした。
そこで感じました。
体当たりでも、基礎基本の大事な部分、絶対に外せない部分を覚えることはできます。
なんなら筋も通せるようになりますが、やはり、フォーマットや、読みやすい書き方などの体裁、質をよりよくしていく最終仕上げの要素は、一度理論(=マニュアル)を体系的に勉強しないと身につきません。
授業の中で手厚く指導して頂くことができても、自分で意識的にならなければ根本的な力はつきにくいと実感しています。
右も左もわからないうちは、とりあえずできることをやっていくしかありません。
ただし、物事には全て裏と表があります。
レポートや論文においても、体系的に書き方を学ぶこと(理論)と、場数をこなし試行錯誤して覚えていくこと(実践)の両面が揃って初めて一つの技術です。
そういう意味で、もう博士後期課程生になってしまいましたが、自分の学業について「根付いて」いないと感じることは多々あります(学業を根付かせるために教育機関に所属している、というところではあるのですが)。
でも、たぶんこういう悩みは多かれ少なかれ、意識的にかそうでないかは別として、何かを学ぶ人間が抱えているものだとも思います。学生の持つ共通した課題なのではないでしょうか。
習い事では「無鉄砲で無謀だが飛び出していくことはできてハッタリが利く」のは良いとして、細部に気を配る繊細さを身につけましょう、とご指導を頂戴しています。
体当たりで覚えたことを多少なりとも提供できるとしても、あと欠けているプラスアルファをどう身につけて、あるいは補っていけばいいのか、LALAだけでなく学業や生活全体の大きな課題です。
いろいろな物事を柔軟に吸収し始める歩み出しの時期に、当時敷居の高かった指導や指南書のクッションになってくれるようなものがあれば良かったなあ、と、思います(ここで冒頭に掲げたテーマとつながりました)。
LALAのひとりとしても学生としても、全く完成形ではありませんが、だからこそ、過去の自分の状況、今の自分にあるものとないものから引き比べて逆算してアドバイスを差し上げることはできますし、内容の練り上げ方や整え方を一緒に考えることは可能です。
現在のLALAデスクは院生の方によくご利用いただいていますが、学部の1・2年生さんにもぜひ使っていただきたいなあと思っています。
#みあ
このところ、音楽の情報が盛りだくさんで、ブログが華やかになってきましたね☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆
今回は、いろいろな物事を柔軟に吸収し始める歩み出しの時期に、指導や指南書のクッションとしてLALAをお使いいただけますよ、というお話です。
私事ですが、習い事で「無鉄砲で無謀だが飛び出していくことはできてハッタリが利く」性格が出ていると度々指摘されます。
それがLALAを始めてから今に至るまで、ずっと感じ続けてきたことに重なるなあと思い、書き出してみる次第です。
「無鉄砲で無謀だが飛び出していくことはできてハッタリが利く」性格がレポートを書くとどうなるか?
マニュアルも見ずにいきなり書いて失敗しながら覚える。つまり、歩いてあちこち障害物にぶつかりながら、歩き方を覚えるやり方ですね。
出しました、手書き指定でもないのに手書きのレポートとか、表紙のないレポートとか、ホチキスの向きを間違えたレポート…。
学部の1・2年生の間は、Web上の「レポートの書き方」情報を見ながら書いていた感じで、あまり意識的ではありませんでした。
その後、3年に上がってから、授業内でレジュメやレポートの形式面について手厚く教えていただく機会に恵まれ、少しずつ「形」を意識しながら、課題が出るままに場数をこなしてきた…という流れです。
大学生として珍しくない歩みなのではないかな? と個人的には思っています。
LALA文庫に置かれている紙媒体のマニュアル本がありますね。
当時はLALA文庫も知らず、いろんなところでおすすめされている本を一瞬手に取っても、難しすぎるように感じてしまい、「ええいやっちゃえ!」と落ち着きなく取り掛かってしまっていました。
振り返ると、学部生って忙しいと思います。
生活を自律させること、大学のシステムに慣れることに加え、大学の勉強の仕方、本の探し方、情報の取捨選択の仕方、そして情報のまとめ方まで!同時並行で身に着けて単位も取らねばなりません。
毎日必死にやっていると意識しにくいですが、これって結構大変なことですよ。
LALAの活動に参加させていただくことになってから、初めて本格的に紙媒体の「マニュアル」本を読むようになりました。
ぶつかって覚えてきたことの答え合せをしていくようでした。
そこで感じました。
体当たりでも、基礎基本の大事な部分、絶対に外せない部分を覚えることはできます。
なんなら筋も通せるようになりますが、やはり、フォーマットや、読みやすい書き方などの体裁、質をよりよくしていく最終仕上げの要素は、一度理論(=マニュアル)を体系的に勉強しないと身につきません。
授業の中で手厚く指導して頂くことができても、自分で意識的にならなければ根本的な力はつきにくいと実感しています。
右も左もわからないうちは、とりあえずできることをやっていくしかありません。
ただし、物事には全て裏と表があります。
レポートや論文においても、体系的に書き方を学ぶこと(理論)と、場数をこなし試行錯誤して覚えていくこと(実践)の両面が揃って初めて一つの技術です。
そういう意味で、もう博士後期課程生になってしまいましたが、自分の学業について「根付いて」いないと感じることは多々あります(学業を根付かせるために教育機関に所属している、というところではあるのですが)。
でも、たぶんこういう悩みは多かれ少なかれ、意識的にかそうでないかは別として、何かを学ぶ人間が抱えているものだとも思います。学生の持つ共通した課題なのではないでしょうか。
習い事では「無鉄砲で無謀だが飛び出していくことはできてハッタリが利く」のは良いとして、細部に気を配る繊細さを身につけましょう、とご指導を頂戴しています。
体当たりで覚えたことを多少なりとも提供できるとしても、あと欠けているプラスアルファをどう身につけて、あるいは補っていけばいいのか、LALAだけでなく学業や生活全体の大きな課題です。
いろいろな物事を柔軟に吸収し始める歩み出しの時期に、当時敷居の高かった指導や指南書のクッションになってくれるようなものがあれば良かったなあ、と、思います(ここで冒頭に掲げたテーマとつながりました)。
LALAのひとりとしても学生としても、全く完成形ではありませんが、だからこそ、過去の自分の状況、今の自分にあるものとないものから引き比べて逆算してアドバイスを差し上げることはできますし、内容の練り上げ方や整え方を一緒に考えることは可能です。
現在のLALAデスクは院生の方によくご利用いただいていますが、学部の1・2年生さんにもぜひ使っていただきたいなあと思っています。
#みあ