「自分の意見」って何…?

20170525日(木)
「自分の意見を書きましょう」
高校生までは、素直に「自分の意見」を書いておりました。
「そう考える理由も書きましょう」
どうしてそう考えたのか、頭の中の道筋を思い出しながら書きました。

しかし、大学生になると、文献を集めたり辞典を調べたり、集めた文献を読んだりした上で、「自分の意見」を組み立てなければいけなくなりました。「根拠」「論拠」と呼ばれる事柄は、自分の考えた道筋だけでなく、道筋を構築した様々な情報も含まれるようになり、そもそも最初にその情報の整理を行わないといけなくなってしまいました。

時には、参考文献の本文なども引用いたします。
本とディスプレイとを交互に見ながら打ち込んでいると、だんだん変な気持ちになってきます。

「私の言いたいこと、全部書いてある…」
「どうしよう、引用した後、どうやって文章を続ければいいの…このまま書き続けても、この著者と同じ結論になっちゃうんじゃないの?」
「…『自分の意見』って、何?」

うなり続けて7年目に突入しました。
現在もうなっていますが、少しずつ割り切れるようにもなってきたような気がしています。

読みながら、引用しながら、上記のように悩んでしまうような文献や文献の中の記述は、自分自身が気づいていない「自分の中にある意見・見解・主張・視点」に気づかせてくれる媒体なのだと思います。
媒体を通じて自分の中にあるものに気がついたら、それをもう一度自分でじっくりと観察して掘り下げてみることが必要です。
「自分の意見」は、自分の中にある様々な要素の重なり合い、とでも表現すれば良いでしょうか、簡単に言ってしまえば持っている知識と理解と関心etcと密に関わってきます。

図で表すとこんな感じです。
snap_ochadailala_20175411417.jpg

→今の専門分野に関心を持ったそもそもの動機、志向、「〜したい」という希望、現時点で大事にしている考え方など。

水色→専門分野&力を入れている分野&力を入れたい分野、自分に必要な学問分野・領域(その領域における自分の立場、考え方、ものの見方も含む)

緑色→趣味や好きなこと。

ピンク色→専門でもなく、絞り切れてもいないけれど、漠然と関心を持っている事柄。

青色→現時点で一番の自分の課題


上の図の形は人によって様々でしょう(今回は私個人を例にして作成しました)。

さて、「もう言うことがない。自分の意見など出てこない」と一度は思った文献・記述ですが、それをこの図の中に配置するとしたら、どうなるでしょうか?

オレンジ色で示してみます。



左上では、青色の円にほとんど丸かぶりですが、青色の円と重なっているピンクや水色や赤色の円とは重なっていない部分もあります。これら、重ならない部分からの再検討が期待できます。

右上は、赤色の円全体と重なっているので、「そうそうそうなの!」と共感してしまい、新しい視点が持ちにくいパターンだと思います(しかも好きなことともかなり被ってる!)。
このような場合は、オレンジ色の円でカバーし切れていなくて、他の色の円がカバーしている部分、つまりオレンジ色と重なっていない部分から、何か付け加えられることがないか考えてみると良いと思います。

また、ここではオレンジ色の円として示していますが、その文献には、その文献独自の赤色・水色・緑色・ピンク色・青色の円の重なり方があります。
自分自身の赤色の円がすっぽり重なっているからと言って、その文献の円の中の赤色部分とすっかり同じと言うわけでもありません。
文献そのものの円の重なり具合も考慮して、もう一度冷静に読み直してみるとより良いでしょう。

左下は、赤色の部分との重なりがまるでありません。また、自分の知識・関心だけではカバーし切れない要素があることが見受けられます。
こう言う場合も難しいです。「納得できるんだけど、何かしっくりこない気もする。でも知らないこともたくさん書いてあるし、どうしよう」とつい思ってしまうかもしれません。
時間があるのであれば、オレンジ色の円がカバーしている範囲を追いかけるように、勉強してカバーできればいいですが、難しい場合もたくさんあります。
この時は、最低でも、「なぜ赤色の円と被らないのか」「赤色の円と何が違うのか」の分析をしておけると良いのではないかと思います。
重なる部分が多いのに、赤色の円と全く重ならないと言うのも、考えてみれば不思議です。
「違い」を見つけようとする意識でもう一度文献に向き合ってみると、実は一番発見があるのがこのパターンかもしれません。

とても漠然とした内容になってしまいましたが、本当の「自分の意見」と言うのは、このように、自分の持っている要素と、その文献・記述の示している要素との比較を丁寧に行った上で、重なっていない部分(違う部分)を見つけ、その立場から何か言えないか考えることで、生まれるものなのだと思います。
そうして生まれた「自分の意見」は、当然、文献・記述の示している内容や考え方に重なる部分はありますが、さらに違う視点から眺め直され、再構成されたものになるのです。

もちろん、自分が何に、どこまで影響を受けているのか、はしっかり把握しておく必要がありますし、必要な場合には参考にした旨を明記するのは絶対です。

まとめると、しっかり考え直した上で、賛同するところは賛同し、参考になるところは参考にして、新しい視点を盛り込んだものが、「自分の意見」と言うところでしょうか。

以上、長くなりましたが、少しでも参考になるようでしたら嬉しいです。


#みあ