理解すること,伝えること(1)-「理解」することは「型」をつくること

20171102日(木)
こんにちは。みあです。
今回は、「理解すること,伝えること」というテーマで何回かに分けて書く予定です。
論理的に、というよりは、日ごろなんとなく思っていることを言葉にしてみたいなーと思っております。
長くなりますが、ご笑覧いただけましたら嬉しいです♪

突然ですが、誰かが話していることだとか、読んでいる本の内容だとかを「理解できた!」と思えるかどうかは、伝えられている概念、あるいはその内容を伝えるに至る話者(筆者)の動機、動機に繋がる話者(筆者)の視点や価値観、あるいはその複合体について、「もともと知っている」と思えるかどうかに依るのではないでしょうか。

 外の世界を切り取り、結びつけ、積み上げてできた「型」を、頭の中で伝える側とある程度共有できれば、文章そのものが難しくても、断片的に読み取れる部分を結びつけて大枠の理解が可能でしょう。
 大枠の理解によって細かい部分の類推もできるかもしれません。
 これが「もともと知っている」という感覚を生み出します。

 普段意識しなくても、共感・共鳴する人の話やスラスラ読める本の内容はそのように受け取っているのだと思います。

 反対に、伝えられている「型」が自分の頭の中にない場合、受け取る方は混乱します。
 自分の頭の中に散らばっている、「話者(筆者)の言っていることに近そうな事柄」を必死に探して拾い集め、なんとか結びつけたり組み合わせたりして、相手の「型」に合わせようと努力します。

「あ、ぴったり合った!」

 と思っても、次の瞬間バラバラになってしまうこともしばしばで、相手の「型」に、うまくはめ込めるようになるまでには、結構訓練が必要です。

 知らないジャンルの内容に触れる時など、初めはこんな感じですよね。結構詳しいつもりのジャンルでも、情報量の多いお話や本の場合は、やっぱりこういう体験をします。

 こうしてたくさんの「型」を知っていくこと、「型」形成体験を増やしていくことで養われるのが「思考力」なのではないかなーと考えています。

(つづく)

#みあ